
※この記事は、#1 ~コンプレックスだった「つぎはぎキャリア」 ~ からの続きです。
●コンプレックスが強みに変わったきっかけ
大学を卒業し、23歳で結婚。3人の子どもたちを育てながら、ライフスタイルの変化に合わせて様々な仕事を経験してきました。
40歳を過ぎた頃、ふと気づくと、自分だけが取り残されてしまったような焦りと恐怖に襲われました。
「経験、実績、専門分野…私には積み上げたものが何もない」
それまでは、「とにかく仕事を続けること」しか考えていなかったように思います。その時々、自分の置かれた状況の中でできることを精一杯こなす。それは大切なことですが、それだけでは足りなかったと今なら分かります。
家庭や家族を優先する生活の中で、自分自身の未来が見通しづらくなるのは、ある意味当然かもしれません。でも、だからといって自分の人生を見失ってはいけません。
当時の私に足りなかったのは、中長期的な視点。
母や妻としてだけではなく、「私」としての人生に落ち着いて向き合い、キャリアについて見つめ直す時間が必要だったのだと思います。
でも、当時の私にはそんな知識も余裕もありませんでした。
けれど、幸いなことに「きっかけ」はあった。焦りや不安に背中を押され、行動を起こした結果、うっすらとではありますが、自分の強みが見えてきたのです。
●「何もできない私」を「何でもできるゼネラリスト」に変えてくれた場所
夫の転勤で家族とともに移り住んだ静岡は、私にとってまったく未知の環境でした。土地勘も知り合いもなく、どれくらいの期間住むのかも分かりません。
引越しを機に仕事を辞めていましたので、様々な手続きや作業を終えると、私のスケジュールは真っ白になりました。
ある日、長男・長女を小学校へ送り出したあと、次男と二人で近所をのんびり散歩していると、ふと素敵な木造3階建ての建物が目に留まりました。
「こんな住宅地にカフェ?」──気になって正面へ回り込んでみると、そこには「保育園」の看板が。決して広くはないけれど、木のぬくもりが感じられ、明るく開放的な佇まい。見れば見るほど魅力的な建物でした。
こういう時、考えるより先に行動してしまうのが私の良いところ(笑)。すぐさま「こんにちは」と訪ねると、園長先生が親切に案内してくれました。
小さな保育園でしたが、そこで過ごす子どもたちはとてもリラックスして見えました。
2階がコワーキングスペースになっていて、日中はそこで仕事をする保護者もいるとのこと。
「1歳児の枠は空いていますか?」と尋ねたところ、残念ながら既に満員。お礼を言って帰ろうとした時、保育士さんが声をかけてくれました。
「上の階にある運営会社で、今スタッフを募集していますよ。採用が決まったら優先的に入所できます」
渡りに舟とはこのことでしょうか。帰宅後、いただいたパンフレットを手に会社のHPを隅から隅まで読みました。
そこは、子育てを機にキャリアを中断したり、見直す時期を迎えた女性たちに、さまざまな情報や機会を提供する企業。知れば知るほど共感し、私はすっかり運命を感じてしまいました。
夫と相談し、翌日には応募。すぐに連絡をいただき、子連れOKとのことでしたので、次男を連れて面接へ。
対応してくださった方は、私の長い職務経歴書を前にしばし沈黙した後、笑顔で「すごい! 何でもできるって感じですね!」と一言。その瞬間、心が明るく晴れていくような気がしました。
採用が決まると、統一感のない私の経歴はむしろ強みとなり、幅広い業務に挑戦することができるようになりました。
これまでの職場とは違い、新しいサービスや企画を考え、計画から実行までを任せてもらえたことで、自信がつき、自分のキャリアを心から肯定できるようになりました。

会社の事業がローカルニュース番組で紹介され、新しい働き方のモデルとして出演
●家庭との両立に悩むワーママたちとの出会い
ある時、子育て中の女性たちが気軽にキャリア相談できる場を提供する企画を任されました。
レンタルスペースでもあるオフィスのキッチンスペースを使い、週に一度カフェ形式で相談者を迎える。新しい試みです。
主に相談を受けるのは、国家資格を持つキャリアコンサルタント。外部の専門家とともに企画を進めるのは、私にとって初めての経験でした。
実際にスタートしてみると、相談者とはワーキングマザーという共通点もあり、自然と共感しながら話を聞くことができました。気持ちを受けとめたり、愚痴を聞いたり。自分の経験をもとに、ささやかながらアドバイスをすることもありました。
仕事はどんどん増え、15時までのパートタイム勤務から17時までのフルタイムへ。
充実した日々を過ごす一方で、私の中には新しい悩みが生まれていました。
──私、いつまで最低賃金で働き続けるんだろう?
東京と静岡では最低賃金が異なります。そもそも、私は正社員ではなくアルバイト。目いっぱい働いているつもりでも、収入は大きく変わりませんでした。
●偶然の出会いからフリーランスの道へ
1階の保育園に次男を預け、階段を昇ればすぐに勤務先。自宅からも徒歩10分という理想的な立地で、子育てをしながら働くには申し分のない環境でした。
一緒に働く同僚たちは皆温かく、子どもたちも転校先の小学校で新しい友達を作り、行事にも楽しそうに参加していました。
一見すると順風満帆な日々。でも、内心では今後のキャリアへの迷いが再燃していました。
家族の未来を考えたとき、「東京に戻る」という選択肢も浮かびます。
引越し前に暮らしていたマンションは、私たち夫婦にとって特別な思い入れのある場所。当初は売却も考えましたが、どうしても諦めきれず、最終的に家族で戻る決断をしました。

部屋が空っぽになるのは最後だと思い、みんなで壁を塗る(東京の自宅にて)
夫はしばらく単身赴任です。次男は以前通っていた保育園で再び受け入れてもらえることになり、私はフルリモートで仕事を続けることに。
2019年12月、ちょうどコロナ禍が始まりかけた頃でした。朝のミーティングにオンラインで参加し、自宅で一人リモートワークをこなす。
企画やイベント運営など、人と関わりながら挑戦する仕事は減り、PCでの作業が中心になっていました。
そんな日々の中、私は静岡で出会ったワーママたちとの時間を思い出していました。
──綱渡りのような毎日を過ごしてきた私の経験が、同じように迷い、悩む人との対話を通じて、初めて報われたような気がする。
これから先、私は何をしたいのか。何ができるのか。
キャリアプランの青写真が、次第にはっきりと見えてきました。
お世話になった会社を辞め、キャリアコンサルタントの国家資格取得を目指してスクールへ。同時に、仕事で関わりのあった経営者の方から声をかけていただき、仕事を手伝うことに。
依頼を受け、スケジュールを調整して受注する。思いがけないフリーランス生活の幕開けでした。
NEXT⇒#3「何のために働くのか? 大切なことを教えてくれた人との出会い」に続きます。

国家資格キャリアコンサルタント
西田明日香さん
遺跡調査員、オンラインショップの運営、ビジネスホテルの副支配人、時間制カフェの経営、オーダーメイド紳士服の販売員、人材会社のイベント企画など、経験職種は12種類+α。夫の転勤・転職、出産などの転機を乗り越えながら、業種、働き方、組織形態など多岐にわたる環境の中で経験と人脈をつなぎながら仕事を広げる。2020年よりオンラインアシスタント、ライター、キャリアコンサルタント、アロマセラピストなど幅広い分野で自分らしさを活かすパラレルワーカーとして活動。趣味はランニング、お灸、アロマテラピー。好物はタコと麩菓子。仕事も暮らしもまるごと楽しむ前のめりスタイルが持ち味。
1978年生まれ|山形県山形市出身|東京都多摩市在住|家族は夫と3人の子どもたち