
店舗のない花屋プメハナの代表、塩田淳子です。
わたしが自宅を拠点とした自宅サロンの形で花の仕事を始めたのは、ちょうどブログなどのSNSが普及し始めた頃でした。パソコンさえあれば、実店舗がなくてもお客様とつながれることを知り、花屋を退職して地方へ引っ越したことを機に、新たな形での活動を始めました。
引っ越し先では知り合いが一人もおらず、何もすることがなかったため、花屋時代に撮りためた花の写真をブログに毎日投稿していました。すると、少しずつ閲覧数が増え、やがて注文が入るようになりました。
気がつけば北海道から沖縄まで、ブーケだけでなく、結婚式で使う小物類やお祝いのギフトフラワーなどもご依頼いただくように。お客様の大切な瞬間にそっと寄り添う花をお届けできるよう、誕生日や結婚祝い、お供えなどのフラワーギフトの制作、また開店祝いや昇進祝いといった法人企業様向けの花贈りのお手伝いも行っています。
最近では「お花を習ってみたい」と言ってくださる方も増え、フラワーアレンジメントやいけばなの花教室も開催しています。

春は花木の季節。お正月には庭に梅や木瓜(ぼけ)の花が咲き、3月の桃の節句、卒業・入学の頃には桜のピンクがあたりを彩ります。
この季節になると思い出すのが、娘の卒園式です。実は、いま私が再び花の仕事を始めるきっかけとなったのが、その卒園式での出来事でした。
●花の仕事をあきらめた日々
結婚を機に地方へ移り、自宅サロンを始めましたが、高齢出産を経て体力的に続けるのが難しくなり、一度は花の仕事をあきらめました。
幼い子どもを抱えながら、これまでのような働き方を続けるのは難しいと感じ、最低限のハサミや花器だけを残して、仕事で使っていた資材のほとんどを手放すことに。
「もう花の仕事をすることはないかもしれない」と思いながらも、心の奥ではどうしても諦めきれずにいました。
それでも子育てに追われるうち、あっという間に月日が流れていったのです。

●卒園式でよみがえった花への想い
そんなある日、娘の卒園の年に、幼稚園の卒対(卒園対策)係として「お花担当」になりました。先生に贈る花束や演台花を用意する係で、数年ぶりに花に触れる機会となりました。
久しぶりの作業に手が震えるほど緊張しましたが、他のお母さん方が手を貸してくださり、なんとか形にすることができました。
そのとき生けたのは、コデマリ、啓翁桜、雪柳、ユリ。
雪柳や野草は園庭から採取し、ユリは幼稚園のシンボルとして使いました。
卒園式当日、お花を見たお母さま方が「お花がきれい!」とお子さまと一緒に写真を撮り、喜んでくださる姿がとても印象に残っています。「やってよかった」と心から思える瞬間でした。
さらに、90歳になる園長先生が、どなたかに「私が生けた花だ」と聞かれたようで、わざわざ近くまで来てくださり、「よくお出来になりました」と微笑んでくださいました。その言葉が胸に残り、「お花には人を感動させたり、喜ばせたりする力があるのだ」と改めて実感しました。
ちょうどその頃は、感染症が世界的に流行し、不安や閉塞感のある日々が続いていました。
そんななかで、お花を見て笑顔になったり、癒されたりする人がいるのなら──そう思ったことが、再び花の仕事を始める決意につながったのです。

●起業に向けての第一歩
起業準備を進めるなかで、「キャリア・マム」で起業相談が受けられることを知り、さっそく申し込みました。
当初は、「また花の仕事がしたい」という想いしかありませんでしたが、担当の方が丁寧に話を聞いてくださり、背中を押していただきました。
お話の中では、東京都の創業支援の融資があること、ビジネスプランやアイデアを競うビジネスコンテストに応募できること、そしてそのためには事業計画書が必要であることなどを教えていただきました。
フラワーアレンジはできても、それを仕事として成り立たせるために必要な知識や準備は初めて聞くことばかりで、本を読んだり、何度も相談に乗っていただいたりしました。
家事や育児と両立しながらも、できることから少しずつ取り組んでいくうちに、人とのご縁が広がり、さまざまな機会が巡ってきました。
そのおかげで今、私は毎日花に触れ、花をお届けする仕事ができています。
続きのお話は、また次回にお届けします。

フラワーアレンジメント講師
塩田淳子さん
- 「店舗のない花屋プメハナ」代表として、
自宅を拠点に全国へ花のギフトを届けるフラワーデザイナー。 - 育児をきっかけに一度は花の仕事を離れるも、
娘の卒園式での花の係を機に再び花の道へ復帰。 - 現在は花の制作に加え、フラワーアレンジメントやいけばなの教室も開催。